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このコーナーは現在イタリアでマンドリン奏者として活躍されている西山みきさんのお便りを掲載致します。

イタリアで活躍される彼女の最新のエッセイで、皆様にマンドリン発祥の地イタリアの情景を
思い浮かべていただければ何よりです。

不定期な掲載とはなりますが、随時更新致しますので
「ガイドブックには載っていないイタリア」をこれからご紹介させていただきます


〜西山みきプロフィール〜


ウーゴ・オルランディ氏と西山みきさん

 


1971
年生まれ。4歳でピアノ、6歳からソルフェージュを学ぶ。琴やフルートの指導を受けつつ、中学で出会ったマンドリンを独学、法政大学時代はマンドリン部に所属。
1996
年渡伊、イタリア、パドヴァコンセルヴァトーリオ(国立音楽院)マンドリン科入学。1998年イタリア政府給費奨学生認定。在学中よりイ=ソリスティ=ヴェネティ(ヴェネツィア合奏団)、アカデミア・ディ・サンロッコなどの室内楽団と協演するほか、ウルビーノ国際古楽器セミナーなど、数々のマスターコースに参加。
2001
年同音楽院同科を最高点で卒業(ディプロマ、日本人として2人目)、同年9月、アーラ市国際マンドリンコンクールでデュオ、クワルテットの両部門において第1位獲得。
渡伊直後より、マンドリン・ギターオーケストラ“Citta di Brescia”に参加、主にソリストとして活躍し、ヨーロッパのみならずアメリカにも遠征。
2006
年、コンセルヴァトーリオの改革に伴い、パドヴァ国立音楽院マンドリン科のラウレア(学士資格)を最高点とローデ(賛辞)で終了。同年、マンドリンクワルテット、レ=スピッツィケを組織、イタリア各地で盛んに活動し、ミラノ・シネライブラリー、RADIO2などのラジオ放送、イタリア国営放送RAIにも取りあげられた。また、ミラノのポルディ=ペッツォーリ美術館と王宮において1700年代に製作されたイタリア式プサルテリウムを演奏し、同地の有力紙、ラ・レプッブリカやRAIに取材を受ける。
2009
年、ブレーシャのコンセルヴァトーリオのピアノ科を、シプリアン・カザリス氏のマスターコースなどに参加しつつ、審査員満場一致の最高点とローデで卒業。
2010
年に設立されたマンドリンオーケストラ、“Armonie in pizzico” 創設メンバーの一人、芸術監督を担当。ギタリスト、ピアニストとのデュオ、管弦楽との室内音楽など、様々な形態でイタリア各地でコンサート活動を行いつつ、後進の指導にも力を注いでいる。

 

 

2012.514

本日五月です。イタリアの一番きれいな季節になりました。ポピーの赤い花があちこちで咲きます。



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2012.5月7













ピアニストの友人と新しく結成したアイディンデュオといいます。
ここに揚げたのはハンス・ガルのパルティータです。

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2012.117

本日午前11時のBrescia、マイナス4度。前夜の濃霧が夜中に凍りつき、日中雪のように舞ってました。



まだ11月の話ですが、チェンバリストのバイブル、クープランの L'art de toucher le clavecinを読んでいてふと思ったことがありました。

「(生徒のレッスン中)チェンバロの上に小さな鏡を置いて、演奏中にみっともない顔になっていないかチェックさせる」・・・思わずぷっと笑ってしまったの ですが、よく考えてみれば、その当時の演奏は主に宮廷で行われたので、そうすると、演奏スタイルも優雅であることが求められたわけです。

Youtube
などで今は様々な演奏が即聞けますが、思えば、マンドリニストで「優雅に」演奏してる人って案外少ないんです。他の楽器奏者に比べて姿勢が 悪かったり、歯軋りしていたり、音楽と関係なく体が揺れていたり・・・背中にこぶを作ってまで弾いている人を見ると、聴いているだけでこちらも力が入って しまいます。なんて思いつつ、自分の演奏姿勢も鏡に映してみようと思う西山でした。


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2011.1119

今晩はArmonie in pizzicoのコンサートでした。Armonie・・・は去年Bresciaに新しくできたグループで、メンバー14人、全員マンドリンオーケストラはウン十年の経験者。年に一回、普段我々が使っている練習場を提供してくれている教会の為に、教会所属の合唱団とダブルコンサートを行います。
今週から北イタリアは気温がぐっと下がって、最高気温が10度を切るようになり、しかもこの季節特有の濃霧!・・・にもかかわらず、お客は満員。ルネサンス期の曲から始め、バロック、モダン、色んな要素をプログラムに取り込んで、お客の受けはかなり良かったようです。寒いのをこらえて無事、演奏を終えました。


(写真は今年の春のものです)

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2011.116

イタリアはジェノヴァ市街が川になるほどの大雨で、ここ、ブレーシャも今夜は雨が音を立てて降ってます。
月曜からクレモナでのマンドリンレッスン再開ですが、電車が動くのか??です。

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2011.115

マンドリン、ピアノと修めて今年はこれらの中間に位置する楽器、チェンバロ科に入りました。
マンドリンと同じ撥弦楽器で同時代を生きてきた楽器ですから、以前から興味はありました。同じバロックでもイタリア、ドイツ、フランスでは装飾音の付け方、解釈の仕方も異なりますし、マンドリンの曲の解釈にも相当役に立ちそうです。
ただし、家に楽器がないので、練習のたびにコンセルバトーリオに通わねばならず、仕事との兼ね合いが大変!今日は第一回のレッスンでしたが、ピアノではおなじみのバッハのインヴェンション(2声)も、チェンバロだと指使い、考えかたが全く変わってきます。
興味津々です!!!

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2011.1020

イタリアも秋が深まってきました。もうすぐオリーブの収穫時季です。


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2009.1224

皆さん、こんにちは。またまた西山の“さぼりグセ”が出てしまいました。それにしても10月から今まで忙しくて…いいわけです。

音楽活動のほうは10月後半から書くと、24日にCITTA DI BRESCIAのコンサートがミラノであり、わずか2回しか練習に参加していないのに、出席。いい迷惑ですね。それにしても今年はやたら雨の日が多くて、この日も大雨でした。そんな天気の中、ミラノのNさんもわざわざ駆けつけてくれました。

11
月に入ってからは、7日にLE SPIZZICHEコンサート。某政治団体主催の女性に対する暴力に関する法律制定のための催しで、コンサート後には各自が書類に署名していきました。
11
月は高校の授業もようやく始まり、ついでに2週間通訳の仕事も入って、大忙し! 去年まで午前中は2つだった高校の日本語選択クラスは、今年は4クラスに増えてうれしい悲鳴。

12
月は8日にLE SPIZZICHEのコンサート。前回のコンサートから一ヶ月あったのに、4人全員集まったのはほんとにわずか。こんな状態でまともな演奏になるのか、4人とも少々心配。今回のコンサートは生協CO-OP(イタリアでも生協は CO-OPなんです)主催で、BRESCIAの中心街の劇場で、しかも祝日のコンサート(128日はこちらでは聖母受胎告知の日のお休みです)。クリスマス間近なので、プログラムにアメデオ=アマデイのNOTTE DI NATALE、日本で言うところの“降誕祭の夜”も入れましたが、合わせた回数わずか4回! おそらく学生時代に弾いた人が沢山いらっしゃるでしょう。
私も大学のときに演奏会で弾きましたが、その時は曲のイメージや意味なんて、全く考えてもみませんでした。そもそもそれぞれの楽章に日本語訳がついていたかどうかも覚えていません。

日本でクリスマスというと、サンタクロースにクリスマスツリーですが、どちらも北欧が起源のようです。イタリアのクリスマス、ナターレは、今でこそバチカン市国にクリスマスツリーも飾られますが…今年のツリーはベルギー産だそうです…もともとこちらではプレゼーピオという、キリスト生誕の物語を箱庭に表して各家庭で飾るのが主流。たかが箱庭と思ったら大間違い。東方の三博士から羊まで一つづつ手作りする人もいれば、毎年一つ、二つ、と人形の数を増やし、水車には水を通したりする人までいる凝りよう。歴史の古いところでは、1700年代から代々受け継がれてきた人形などもあって、ナポリなんかでそれがたまに盗まれたりするとニュースになったりするくらいです。

その箱庭にしばしば再現されるのが、横笛を吹く羊飼いとバグパイプ奏者です。
アマデイの“ナターレの夜”の第1楽章、“PIFFERATA”(PIFFERO=横笛)はこの笛がイメージされているのです。私個人のイメージだと、笛の音が遠くからだんだん近づいてきてナターレの雰囲気が盛り上がってきたところで、第2楽章のAL PRESEPIO(プレゼーピオ)登場。
ナターレはカトリック信者にとって復活祭の次に大事な宗教行事です。ここはノクターンで、プレゼーピオを前に静かに祈りを捧げるところでしょうか。言い忘れましたが、家庭だけではなく、教会にも勿論プレゼーピオは飾られ、24日夜の礼拝で、暗闇の中、やわらかい光に照らし出された様子には、信者でない私でも敬虔な気持ちにさせられます。
そして最後、教会の鐘の音に始まる第3楽章のALLELUIA(ハレルヤ)は、お祭り気分も絶頂、キリストを称え、ハレルヤを賛歌して全ての締めくくり! 25日は家族全員が集まって昼食…私の考えすぎですね。実は私、個人的に、ムニエルやカラーチェよりもアマデイが好きなんです。…そんなわけで、コンサートはなんとか形だけはOKでした。

今日は1220日、あと5日でクリスマスです。
先週から降ったりやんだりしている雪のせいで外は真っ白。シベリアからの寒波で最高気温マイナス3度、最低気温はマイナス7度だそうで、午後スーパーからサラダを買って帰ってきたら、ビニール袋の内側が凍っていました! 幸い学校の授業もクレモナでのレッスンも終わって、外出も最低限、サクラ(猫)と冬篭りです。
では、皆さん、よいクリスマスを! BUON NATALE!!!


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2009.1010

皆さんお元気ですか? インフルエンザが世界中で流行しているようですね。イタリアは今週に入ってロシアからの寒気団が押し寄せてきて一気に冷え込みました。今日は最高気温13度、最低気温4度…秋を通り越していきなり冬になってしまいました! ついこの前の日曜日まで27度もあったのに…です。

私のほうはというと、忙しくてめちゃくちゃです! 通訳とコンサートとレッスンと練習、バテバテです。コンサートは今月は計4つ。930日、モーツァルトのホルン協奏曲のピアノ伴奏を終えて、まずは103日に、BRESCIAの現代音楽の室内楽団、DEDALO ENSEMBLEとシェーンベルグのSERENADE Op.24のコンサート。マンドリン、ギター、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、クラリネット、バスクラリネットの7重奏。9年前にコモのコンセルヴァトーリオに弾きに行ったことはあるものの全く覚えているはずもなく、カセット(!)を聴きなおして記憶を辿り…。
合わせる回数も少なかったけれど、そこは全員プロ。ほとんどが音楽院のマエストロ、初回からばっちり合うのは気持ちがいいもんです。シェーンベルグといえば、皆さんご存知かと思いますが、12音技法。12音全部を満遍なく散りばめて調性が全くない…はっきり言って、聴くほうは頭の中が???だらけになってしまうのですが、その麻薬的なところが実は癖になりやすくて、何回か弾くと頭の中でぐるぐる…。実は結構好きなんです、ハハハ。ちなみにシェーンベルグがどのように12音を用いるべきかを説明するために使った魔方陣があるので引用します。

   SATOR
   AREPO
   TENET
   OPERA
   ROTAS


ラテン語で、“農民のAREPOが車輪を用いて土地を耕す”というようなことが書いてあるらしいのですが、ウロ覚えなので、知っている人がいたら教えてください。ともかくこの魔方陣、縦・横、どう読んでも同じに読めますよね。こんな風に12音全部偏りなく用いてあるんです。演奏後、聴衆が不思議そうな、合点のいかないような顔でたたずんでいるのが特徴的なコンサートです(笑)。

10
8日はLE SPIZZICHEのコンサート。SIAE(著作権協会)にできるだけ税金を払わなくて済むよう、プログラムは70年以上前に書かれた曲で組んでくれ、という企画側の要望。裏方事情も色々です。ムニエルの4重奏やその他、曲目に限りはないものの、残念ながらマンドリンのオリジナル曲だけだとお客さんは飽きてしまうんです。結局最後は一般にも広く知られたものも入れました。(ただしナポリのカンツォーネだけは絶対弾きません!マンドリン=カンツォーネという固定概念にうんざりしているので…でもRoberto Muroloの歌声なんかは大好きです。CDがあったらぜひ聞いてみてください。)コンサートは盛況で、なかなかお客さんがひかずに、結局、本来の目的のピザにありついたのは0時でした。
ところで、我々LE SPIZZICHEのサイトができました。まだできたばかりで、ほとんど手を加えていませんが、暇だったら覗いてみてください。

http://www.lespizziche.it

ではでは、10月後半もガンバリマス!


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2009.629

イタリアは5月末から暑い毎日が続いています。連日35度近いので、私も物置から扇風機を引っ張り出してきました。ここは屋根裏部屋なので、風通しの悪い居間はサクラもぐったり。
そんな5月、実は同じ週に3つもコンサートが重なって大わらわでした。2024日はコンセルヴァトーリオでのピアノソロ、23日はLE SPIZZICHEのミラノ近郊・PIOLTELLOでのコンサート。練習する曲も楽器も全部違う!! こっちもぐったり…

PIOLTELLO
でのコンサートはギター担当のパオラの都合がつかず、代理で、オーケストラの友人ロミーナ参加。トップでディプロマをとり、ご主人のサンドロとギターデュオの演奏会を頻繁に行っているだけあって、練習も2回ほどでほぼ完璧。もともとステファニアも私も、それぞれ忙しくてなかなか集まる時間がなかったので、これは大助かりでした。
このコンサートは、もともとミラノ近郊で楽器製作者として忙しい毎日を送っているR氏が、10数年前に他界した兄嫁・F氏の追悼を目的に、彼女の描いた絵の展覧会を開いたのがきっかけでした。描かれた対象が主に女性だったのと、私達女だけのクワルテット、というのがどこか重なるところがあったようです。
「一般の人にも分かりやすいプログラムで」…というわけで、映画音楽など、よく知られている曲を中心にプログラムを組んだら大当たり! 弾いているこちらもだけれど、聴いている方もなかなか楽しかったようです。初参加のロミーナも、「こんなに笑ったの久しぶり!」(勿論楽しいのは演奏だけではなくて、往復の車中も、演奏後のピザ屋も全部含めて)と満面の笑み。コンサート後は、クワルテットに関する情報を求めてきた人たちが数人。全く宣伝をしていない我々のクワルテット、まさに口コミで活動を広げている感じです。地元紙にも記事が載りました。



今月は私のピアノのディプロマが控えているので、マンドリンの方は、ほぼお休み。8月からは、また全力で(?)復活します(多分)。

ちなみにディプロマの数日後、73日に又帰国します。31日まで日本のどこかに潜伏していますので(って、自宅以外のどこでもないのですが)、どうぞよろしく。希望者にはレッスンもします。


※レッスンお問い合わせ:イケガク 03-5952-1391 info@ikegaku.co.jp

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2009.511

5月はイタリアが一番輝く季節。
毎週一回のクレモナ通いも残すところ一ヶ月。 広大な北イタリア平野を突っ切る電車の窓から見える景色に、手持ちの本は開かれぬまま目的地に到着するようになる。4月に生えた線路際のオバケつくし(大人の親指くらいの太さ)が、今は巨大なスギナに変わり、野には5月特有の真っ赤な芥子の花がそこここに咲き始め、満開のアカシアの花の白さとコントラストを描いている。
気を付けて観察していると、誰もいない線路沿いのサイクリングロードをキジが悠々と歩き、電車の騒音に驚いた野ウサギが走り去っていくのが目に留まる。ほかにもサギやカササギなど、よく目にする生物の他に、ヌートリアなど帰化動物の姿も見える。気温が上がって、ポプラの綿毛が雪のように舞うようになると、アレルギーの人にはつらい時季である。

ところで、イタリアの4月は中部ラクイラを襲った地震のニュースで始まった。リヒター震度階で6度。日本では震度5強あたりに相当するのだろうか。中心街などの歴史的建造物の集中していたところはほぼ壊滅状態。イタリアでも数少ないマンドリン科の設置されていたコンセルヴァトーリオも全壊。
日本とまではいかなくとも、イタリアは地震国。なのに事が起きてから大騒ぎするのは、いつものこと。建物だって耐震構造になっていないし、たとえそうだとしてもレンガを使用しているのはよく分からない(イタリアでは法律で、中心街に位置する建物の外観を許可なく変えてはいけないことになっている。でも耐震補強は別。)。残念ながら約300人の犠牲者が出てしまった。大学の町として多くの学生が寄宿していた学生寮も崩壊し、二十歳前後の若者達が犠牲になった。日本の地震対策が注目された月であった。

さて、音楽面ではひたすら、クワルテット、レ=スピッツィケで4月も追われた。
ブレーシャ北西部のイゼオ湖畔に位置するスルツァーノのお祭りに参加。町内会レベルの小さなお祭りかと思いきや、5年ごとに行われるかなり盛大なイベントで、イゼオ湖の伝説を、町民が本職の俳優も巻き込んで劇にし、我々はその劇の音楽担当。リハーサルで訪れた時に、まずびっくり! 町中ペーパーフラワーのデコレーションで色とりどり、おとぎの国のようになっていた。何せ、ものすごい数の花、花、花。家々の垣根や窓にとどまらず、花壇や植木にまで本物の花に混じって様々なペーパーフラワーが飾られていた。

予定されていた本番は悪天候のせいで、結局51日に延期されたが、休日のせいもあって返って人出が多く、友人知人も沢山駆けつけてくれた。夜9時、レ=スピッツィケはマイクテストもして準備万端。中世の衣装をまとった役者達が、子どもたちの奏する太鼓に伴われて広場へ入場。
伝説のあらすじは、イゼオ湖に棲む竜に毎年一回、村一番の美少女を人身御供にさらわれていたこの村に、弓の達人(聖人ジョルジョ)が現れて救済する、という、なんだかどこかで聞いたような内容………。
劇のクライマックスは、竜に仕立てあげた湖上の小船に火矢を放ち炎上させ、同時に花火打ち上げ開始。
この花火がまたびっくり。20分以上、大玉の花火がガンガン上がり、それだけでは足りずに、水面でも様々な花火が炸裂。口をパッカリ開けて見入る子ども達の間で、大人のコメント、“地方って、お金持ちね”。 これまたどこかで聞いたような…気のせいか。



一方、ピアノでは30日に学内コンクールがあって、師匠からの命令でしぶしぶ参加。10年コースのピアノ科は、5810年生のカリキュラムをベースに学内コンクールが行われ、勝者には僅かながらも奨学金が支給される。10年生の参加者は6名、1人あたま30分…審査するほうも大変! 朝、5年生の部から始まって、我々10年生が終わったのは夜7時。
どうでもいいけれど、最初から最後まで全く集中できず、1曲目演奏中から「だめだこりゃ」と自嘲してしまうくらい最悪のデキ。とりあえず最後まで残って、審査結果を聞き、勝った隣のクラスの男の子を皆で拍手で送り、帰途。審査に参加していた師匠クラパッソンから電話。「いやあ、又、危うく勝つところだったね(笑)。」実は8年生で参加した時に、演奏した曲が制限時間に2分不足、賞を逃す、という出来事があった。今回は、いくらなんでもありえない、と思っていたら1番の子に3点差で2位であった。ビリだと思っていたのが実は2位だったとなると、人間勝手なもので、やっぱりちょっとは悔しいものである。ははは。


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2009.422

3/8
Le Spizziche
(クワルテット)のDesenzanoでのコンサート(Desenzanoは、ブレーシャから車で30分のガルダ湖畔の町です)。38日はこちらでは “女性の日”で、女性にミモザの花を贈る習慣があります。1年も前から予定されていたコンサートで、ブレーシャの有力紙の朝刊にコンサートの記事が我々の写真付で載せられていました。
プログラムは約1時間、トスカーナの友人が発見したジュリアーノの四重奏で始まり、マンドニコのジャズポップロックで締めくくり。バロックの四重奏ではステファニアのフルートが響き渡り、最後はパーカッションが響き渡り…。変化に富んだプログラムにお客さんも大喜び。おまけに私たち4人、舞台上で結構おしゃべりなんですね(笑)、いろんなコメントが飛び交うので、もしかしたら本当はそっちの方がウケているのかも? 黙ってまじめに演奏して去っていくより、観客と交流があったほうがこちらも楽しいので、自然とこうなっているのですが…???
ブレーシャやパドヴァから駆けつけてくれた友人は演奏に感激してくれていたようですが、うーん、どうなんだろう。とにもかくにも4人が楽しく仕事できたのでOKとしましょうか。



3/25
またもやピアノの発表会! 6月の卒業試験まで月1回のペースで演奏会。絶対にわかり合えないと思っていたベートーヴェンのソナタ110番…なんとかモノになりそうか? パソコン様サマで、むきになってYOUTUBEに張り付いて、リヒターから名の知れないピアニストの演奏までほとんど聞いたらさすがに少しはひらめくところがあって、本当に助かりました。

3/28.29.30
コンセルヴァトーリオで行われた、フランス人ピアニスト、シプリアン=カザリスのマスターコースに参加。以前、日本でもNHKで公開講座を放送したのを聞いていたので興味津々。テレビで見たカザリスよりはずっと年をとっていたけれど、指導者・現役ピアニストとして活躍する彼のレッスンは内容が深くて、3日間なんてあっという間でした。すごいのは、バッハからリストの協奏曲、バルトークまでなんでもOK
マンドリンと全然関係ないピアノの話と思っている方がいたら、大間違い。楽器は違えども同じ音楽の世界。たとえ指導する楽器は変わっても、“音楽家”が求めるもの・その姿勢・考え方や捉え方は全く同じ。今回、他の生徒のレッスンを聞きながらつくづく思いました。
もともと、ただのマンドリン弾きにならぬべく入ったピアノ科ですが、マンドリンにこんなに影響するとは全く思っていませんでした。まだまだ無知です!


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2009.314

やっとインターネットキーが手に入ってうちも近代化が進んでまいりました。昔日本語を教えていた生徒のおかげで今のPCにはすでに日本語が入っていることも知り( PC 買ってから2ヶ月後の発見)…
スーパーの点数をためてMP4入手。それまでせっせとPCにコピーしてきたCDがわずか5分で全部入ってしまって”なるほど、CDウォークマンなんて誰も持ち歩かないわけだ”と納得したのが1月。今になってネットに接続できるようになったらフェースブック(日本じゃあまり流行ってないみたいですね)で普段会えない友人にもどんどんコンタクトがとれるし、いやー、便利です。

さて2月。まずは14日。ヴァイオリン科の女の子から発表会のピアノ伴奏を頼まれて参加。BERIOTのヴァイオリン協奏曲の9番。なかなかいい曲で、自分の勉強にもなりました。マンドリンでもいけるかも(コンサートなんかで本気になって弾かなければ、ヴァイオリンの曲は結構マンドリンで楽しめます)。

1月以降は1年で実は一番忙しい時期。レッスンは立て込むし、高校の授業はある、自分の練習もしたいし、うー。それなのにPCのおかげで翻訳の仕事まで入ってきた!
ところで誰も言ってはくれないけれど、私、結構いい先生やってると思うのです。実際辞める生徒はほとんどいないし、新しく来る人はみんな口コミ。コンセルヴァトーリオに入った生徒もまだ助けを求めてやってくる。教えるほうも結構楽しんでるので時間外延長も結構ザラ…あ、だから来るのか?

22日、 CITTA DI BRESCIA のコンサート。L.ラニエリという、こちらでは結構名の知れたヴィオリストを招いてのコンサートで、この日のために、普段はしない水曜日の夜まで練習を入れたり…いつでも何でも直前になって大慌てするこの楽団、何でもっと前からしっかり準備しないのか。試験直前に慌てて勉強していた学生の頃の気分。
ラニエリはベルリンフィルとも競演している奏者なのに全くおごり高ぶったところがなく、マンドリンオーケストラという初めての経験に興味津々のようでした。ヒンデミットのマンドリンアレンジは私としてはあまり乗り気でなかったものの,すばらしいヴィオラの響きには本当に圧倒されました。


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2009.29

1月はマンドリン関係のイベントがなかったので世界情勢について思うことを。
イスラエルのパレスティナに対する激しい攻撃のあった1月ですが日本ではどの様に報道されたのでしょうか。陸続きのこの国にいるといろんな国の友人ができて、イスラエルやパレスティナの事も他人事ではなくなってしまいました。パレスティナでは1000人近くの市民が犠牲になりました。日本では規制されておそらく流れないであろう、リン系爆弾(日本ではどういう呼称でしょうか?)の犠牲者の影像が時折TVの画面に映し出されると、あまりの悲惨さに身動きできませんでした。行きつけのピザ屋でバイトしているイアス(パレスティナ人)は伊で医学留学中。くったくのない笑顔で自身もリュートをたしなむ音楽好きのイアス、、、彼の家族は無事だったんだろうか。
イスラエルでは女性でも2年間の兵役が義務づけられているそうで、それをおさめて伊へマンドリン留学に来ていたイスラエラはイタリアにいながらも近くにパレスティナ人がいると警戒していました。国とか民族問題に疎い日本人の私には全く理解しかねる行為でした。
パレスティナとイスラエルというと思うのにD.バレンボイムの設立したウェスト・ディバン・オーケストラがあります。自身ユダヤ人のバレンボイムが両民族の共存を目的にパレスティナ人とイスラエル人の若者の手に楽器を持たせたのが始まりです。武器を楽器にかえて音楽という共通言語を得て彼らは世界中を飛び回るようになりました。アメリカやヨーロッパの武器商人が彼らの演奏を聴く時、何か心に響くものはあるのでしょうか?

1/19
ミラノへ。マンドリン譜1つめのファイルのコピーの受け取り。400ページ分、コピー代だけでも33.60!これがあと5つもくるのか!

1/27
この日はこちらヨーロッパでは第2次大戦中のドイツ、ナチによるユダヤ人犠牲者の追悼日で、TVでは毎年のように「シンドラーのリスト」が放映される。今年はなんとなく複雑な心境で、映画も最後の方だけちょっと拝見。映画館も含め、もう何回見たか知れない。見る度に、本物のシンドラーがどういう人物だったのか、それについての本があったら読みたいな、思っては忘れている。主役のリーアム=ニーソンもはまっているし、スピルバーグの筋書き、構成、白黒フィルムでの色の使い方(赤い服の少女、ろうそく炎など)はまさに芸術。そしていい映画にはいい音楽がつきもの。この映画もジョン=ウィリアムスの曲を、ボストンシンフォニーをバックにイツァーク=パールマン(ユダヤ人?)がバイオリンソロを奏でている。一緒に口ずさんでみると結構単純なメロディーの繰り返しなのにグッと胸に迫るものがあるのはあまりに映画とマッチしているからだろうか。

1/31
コンセルヴァトーリオにてピアノの発表会。この年で発表会というのもくすぐったい気分だが、6月のディプロマに向けてできるだけ人前で試す機会を設けようというのが私のマエストロ、クラパッソンの意図なので仕方ない。曲目、ドビュッシーのプレリュード、ショパンのノクターン、シャブリエのBourée Fantasque、、、くーっ、まだまだ練習不足!!!


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2009.17

明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い致します。
ひたすら雨、雨、雨だっった2008年のしめくくり、12/31の大晦日はなんと大雪。日中の気温が昨日、今日は-3℃で降った雪も殆ど溶けぬまま又もや今日は雪。明日からは日常生活再開でクレモナでまずはマンドリンレッスン…この調子ではどうなるか…。まずは12月の報告から。

12/6
Citta di Brescia
コンサート。ブレーシャ南部の新興住宅地にできた新しい劇場のこけら落としに招かれての演奏。霧深い日の上、地図上にものっていない地区(新しいので)、辿り着くのが大変。

12/19
12月はやたら忙しい。師走というけれど、私の場合「師」ではないのでどっちかというと「貧乏暇なし」。この日までにはそれでも高校の日本語クラスは期末試験も終え、伊全土が冬休み気分に入る。私は大っキライなミラノへパスポートの更新。10年以上もいればこういうこともあるかと少々諦めの気分でも、ミラノまで行くのは面倒臭い。おまけにどこもかしこも同じようなコンクリートの箱型の建物で埋められた灰色のミラノは何かしら冷たい印象。幸い領事館はすぐ見つかり、申請書類もOK…が、そこから受け取りまでなんと5時間待ち。申請者が多い訳ではないのにこの遅さ。日本人の仕事も伊に来ると伊並みになるのか?気を使って駆けつけて下さったN氏と2人で11月末に知り合った領事のS氏に面会。Citta di Bresciaをなんとか日本に呼ぶ手だてはないものか、という領事には(多分)どうしようもないような事柄にもかかわらず、親切に相談にのって下さった。後日、ミラノのコンセルヴァトーリオの図書館蔵のマンドリン関係の譜面入手にあたって司書に交渉。全てが上手くいって町中を歩いていたら、何となくミラノも悪くないかな、と思えるようになったそんな自分に失笑。−そういえば私のお気に入りの作家、Dino Buzzatiはミラノをこよなく愛した人だったっけ。

12/23
Citta di Brescia
コンサート。近頃は教会でも暖房設備が整っている所が増えたので、服装にもそんなに気を使わなくなった。以前は長い黒スカートの下に見えないように色々重ね着して、背中にはカイロを貼って、本番直前まで手袋はめたままホッカイロを握りしめたり。(イタリアにはカイロがなので皆も時々暖まりにきていた)この日よりオケも冬休み。

12/27
旧囚人の為の事前コンサート。伊は物凄い勢いで増加している移民の数に伴って外国人犯罪も増加中。刑期を終えて興生しようとする外国人を受け入れているカトリック系団体のクリスマスシーズンの催しの一環…というわけで楽しめそうな曲をチョイス。Le Spizzcheも気付いてみればかなりのレパートリーを持つようになってファイルぎゅうぎゅう、3つ分!

12/31
Quartetto
の4人で企画していた年越しパーティは大雪のせいで中止。今年は各自、自宅で新年を迎えた。Buon Anno
よい年になりますように。


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2008.122

11/11
本来何の予定もなく、マンドリン以外の事に集中しようと思っていた11月ですが、この日は突発的に某慈善事業団体の夕食会での演奏を頼まれ、クワルテット“Le Spizziche”出動。アフリカの女性の為に産婦人科医を増やそう、と婦人だけで立ち上げられたカトリックが母体の団体ですが、アフリカどころか、先進国日本でも同じような事態になっているとは誰も想像していないでしょう。(最近のニュースだと日本に足りないのは産婦人科医だけではなさそうですが。)

11/23
久々、Citta di Bresciaのコンサート。経済的に低迷している→コンサートが少ない→団員の意気も下降、と10月中は毎回の練習参加者も10人前後で、練習熱心にミラノから通っているN氏もさすがにヤル気消失。そんなワケでどうなるかと思っていたコンサートですが、本番2週間前から人も集まりだし、当日は無事終了。ベルガモ郊外の町で、プログラムもベルガモの作曲家の曲が中心。あまり複雑な曲がなかったのが幸いしたのかもしれませんが、オケのこんな状況、いつまで続くのやら…。

11/29
Brescia
市内から車で15分、Roncadelleにある老人ホームで慰問コンサート(勿論、クワルテット)。セカンドマンドリン担当のLの父親がホームに入ったのがきっかけになって行ったコンサートは今年が2回目。プログラムは決めずにその場の雰囲気で曲をチョイス。足腰のきく人はワルツやマズルカを踊りたがったり、身動きできない人も一生懸命聴いてくれます。去年のがウケたらしくて今年は現場に着くや大歓迎。11月中に誕生日を迎えた人には1曲ずつ献呈したら「私の誕生日は7月28日だから覚えていてね。」というお婆さんも現れたり。コンサートの最後は皆の知っているクリスマスソングを全員で大合唱。ところでベビーブーム期に生まれた我々の老後はどうなるのか、考えているのは私だけでしょうか…?

11/30
市内で夜、雨の中行われたマンドリンオーケストラ・テローニと盛岡市マンドリンクラブ(でしょうか?)のジョイントコンサートを聴いてきました。宣伝が少なかったので、ミラノのN氏が偶然耳にしなかったら私も知らないままになるところでした。コンサートにはN氏は勿論、Citta di Bresciaの友人2名も同席。
プログラムはヨーロッパを意識してか、二橋氏の組曲、合同でのアンブロジウス、ボッタキアリ。テローニのみの演奏はバッハとモーツァルトでしたが、マンドリンオリジナル曲ではないせいで、どうしても、ヴァイオリンと比較してしまって、奏者には損だな、と思いました。盛岡側の演奏は人数が少ないわりにしっかり音が出ているので印象的でした。N氏言わく、「この日の為に一生懸命練習してきたんだっていうのが伝わってきて、ミラノから来て良かったと思いました。」同感。−コンサートの後はドリーナとも談笑。去年からラクイラのコンセルヴァトーリオを移って今はパドヴァで教えているドリーナ(テローニはドリーナ=フラーティが指導)、通いやすくなって喜んでいるのかと思ったら「うーん、でもね、ヴェネト(パドヴァ市のある州)の人は気候のせいかどうも湿っぽくって…。」とラクイラが懐かしそうでした。
盛岡の方々はその後、そのヴェネト方面へ向かったようですが、10月末からの雨続きで、ヴェネツィアは水位160cm、町が冠水してしまっていたようで少々心配でした。無事だったでしょうか?イタリアに来たい方、11月は“つゆ”です。避けて下さい!


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2008.1013

10/17
ベルガモの友人、ピエトロが再興したEstudiantina Bergamascaのお手伝いの為、夜、Le Spizzicheのメンバー4人でベルガモへ。なかなか歴史のあるこのマンドリンオーケストラが絶えて数十年。半数以上がピエトロの教える生徒たち(14才以下)で、演奏会全てのプログラムをこなすまでにいかないので助っ人としてこの日は練習参加。去年、教則本まで自費出版したピエトロ。子供を教えることの難しさを身にしみて感じている今日この頃、エライなぁとひたすら関心しながらの賛助参加でした。

10/20
10/20
から今日31日まで、例年のごとく又、通訳(←1日8時間)の仕事が入り、この2週間、通訳、コンセルヴォトーリオ、自宅レッスン、自分の練習、合わせ、更に毎週水曜のクレモナ通いも再開。23日、25日にはコンサート。ついでにカゼもひき…。

10/23
ベルガモ近郊、マルティネンゴにてEstudiantinaのコンサート。賛助の私がナゼかVivaldiの協奏曲(ハ長調)のソロを任され…。思えば中学の時、ピックのdownupも知らず、オールダウンで(!)、初めて人前で弾いたのがこの曲でした(当時誰も教えてくれなかった)。緊張しすぎて固まっている子供たちとあまり人前で弾いたことのない大人たち−−私たち4人の存在が大きかったのは否定できない事実だけれども、それでもけっこう楽しんで帰ってきました。

10/25
数年前、クレモナでコピーされたストラディヴァリのマンドリン“Coristo”をカモにしてクレモナ近郊のPiadonaでギターのアレッサンドロ=ボーノとコンサート。
ところで、このストラディヴァリ、全然鳴らないんです。それは製作した人がヴァイオリン専門だから、というより寧ろ楽器そのものの胴が小さすぎて−−カゼをひいてハナづまりの私と同じ−−もともと鳴らなかったのでは、と思える代物。コンサートの企画者にそのことを伝え、結局自分の楽器使用。(Coristoは低い方からMiLaReSolのチューニングなので、ロンバルド型−SolSiMiLaReSolで代用)

全てバロックでプログラムは以下のとおり。
・ロンバルド型マンドリン
 1.−A.Vivaldi ソナタ ハ長調(オリジナル:リュート)
 2.−C.Arrigoni ソナタ ニ長調
・ブレーシャ型マンドリン
 3.−T.Motta 組曲 イ短調
 4.−B.Bortolazzi 主題と変奏 イ長調
・ナポリ型マンドリン
 5.−D.Scarlatti ソナタ 59K89) ニ短調
 6.−G.B.Gervasio ソナタ ニ短調
・2台のマンドリンとギター
 7.−G.Merchi トリオ ニ長調
 8.−E.Barbella ソナタ イ長調

4番、5番はつい最近ディプロマ取得したばかりの友人Cが担当。あ、ちなみに“Gervasio”は日本でよく“ゲルバシオ”と書かれているのを目にしますが、これだと一体誰のことだか分からないんですね。正しくは“ジェルヴァジオ”と読みます。
1つのコンサートで次々と3台も楽器を変えるのは大きさも重さも違えば弦のテンションも違って本当は面倒なのですが、1600年代のフレスコ画に彩られたホールの響きに助けられ、とても気持ちよく(ハナづまり以外は)弾けました。やっぱりバロックって最高です。

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2008.1013

10/2
9/27
から5日間、クロアチアのSplitへ行ってきました。これで4度目。今回は、友人イワナの結婚式(9/27)と、彼女がコンミスをつとめるマンドリンオーケストラSanctus Domnioと東京からやってきたIl Plettroとのジョイントコンサートが目的。
Il Plettro
O氏のご親切なおさそいがあって私も隅っこで弾かせて頂きました。結婚式もコンサートもとても良い雰囲気で天気も快晴。Splitから翌日ドブロブニクへ行くというIl Plettroの皆さんにお供できず、12時間かけてイワナと車でイタリアへ戻る、という強行軍を除けば(いや、行きの船も揺れて大変だったっけ)最高の5日間でした。
                                        (Oさん、Il Plettroの皆さん、ありがとうございました。)
10/11
2年前に組織したQuartetto "Le Spizziche"の練習日。練習よりそのあとのピザの方が本当の目的のような気もする今日この頃。今回は私たちのクワルテットに興味を持った友人のアンリがパドジャから参加。曲目はトスカーナの友人が見つけたジュリアーニの四重奏曲中心(フルート、マンドリン2台、ビオラ…マンドラで代用)。ふだんマンドラ担当のステファニアは実は件のコンクールで優勝しているフルーティスト。当然、フルート担当。私がマンドラを弾き、あいたマンドリンのポストには普段ギター担当のパオラが。モーツァルトを彷彿とさせるジュリアーニの末版のこの曲、いつか日本で紹介出来ると良いのですが…真珠のような美しさです。

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2007.714

イケガク様        イタリアより

 5月末のキーシンのコンサートは\2000でも高いくらいひどくて、友人とあきれ返って帰ってきました。シューベルトもベートーベンもブラームスもショパンも全部同じ。テクニックばかり…ずっと以前に聴いたのと少しは変化があるかと思って期待していたのに、がっかり。全然大したことないのにナゼか運良く名前ばかり売れて、大衆受けする音楽家は世の中に沢山いますが、むむむ…これでいいのか!?しかも今シーズンのミケランジェリ賞の受賞者…はっきり言ってミケランジェリには足元にも及ばないのにのにのに…
 6月、イタリア全土で小・中・高、各学校が夏休みに突入(6/9から)。クレモナのマンドリン教室の皆とも6/1に発表会を済ませて、今期はおしまい。始めてまだ2年という人もいる中、オケの友人5人の助っ人を得て、新聞の評もなかなかでした。
 オケでは7月に入ってブレーシャ市内と、トリノ郊外でコンサート。そして…今、日本に潜伏中の私。7/11に帰ってきました。ヒコーキは超満員。経由のロンドンでは靴までチェック。時差ボケは去年に比べるとないほうです。18日には大阪の友人Aさんのところへ演奏を聴きに…。今年もあっというまの1ヶ月と思いますがどうぞよろしく。希望者にはレッスンもします。(イケガクさんにTEL番号きいて下さい)。8/8までいます。…皆さん、台風、気をつけて…。

   ※ イケガク 03-5952-1391  info@ikegaku.co.jp

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2007.57

イケガク様        イタリアより

 今シーズンはオケもコンサートもないしラクちん…と思っていたら、降って湧いたように、いきなり4つも予定が入り、6/2にはクレモナでで教えてマンドリンの生徒たちと演奏会がある上、/19は更に別の小さなコンサート、と急に忙しくなってしまいました。日本と違って9月に始まり6月に終わるこちらの学校、2クラス教えている高校の日本語の授業の方は試験の準備もあるし…。
(イタリアって6/99/15まで夏休みなんです。休みすぎだと思いません!?それに比べてなんてかわいそうな日本の学生…)
 ところで、マンドリンから話はそれますが、ブレーシャは毎年4月中旬〜6月初旬まで、ブレーシャ出身のピアニスト、アルトゥ=ミケランジェリの名をとった国際ピアノフェスティバルがあって、今その真っ最中。各国から有名な演奏家がやって来てブレーシャのTeatro Grandeでコンサートを行うので毎年いくつか聴きに行きます。これまでアシュケナージ等、日本ではチケットさえ入手不可能な演奏家のものも運良くゲット。つい先日は、コンサート当夜、開演直前に知人にチケットを譲られて、Alexander Lonquichの演奏をきいてきました。プログラム全てBeethoven、ピアノ協奏曲3番、交響曲8番、休憩を挟んでピアノ協奏曲4番という内容。Lonquich1人でピアノと指揮をこなし、協奏曲は全て勿論暗譜、アンコールが協奏曲1番の第4楽章、ドビュッシーの「花火(ピアノソロ)」…コンサートトータル2時間半!こちらは座ってるだけでも疲れたのに、全く勢いの劣えない素晴らしい演奏でした。席が平土間だったので音響はイマイチ、でもグチは言うまい。日本できいたらいくらとられることか(…日本のコンサート市場は異常です。各国から批判されるのももっともながらクラシック音楽がいつになっても民間レベルで普及しない一番の理由では!?)Lonquichは今年48才ととと今が旬のピアニスト。実は私のピアノの師匠がどのくらいの期間だか師事していたことがあって、前から時々話に出ていたので興味津々でした。体に比べて極端に両腕が短いというハンデがある為、ピアノにかなり接近して弾く姿勢はかなりインパクトがありますが、音質の美しさはそのハンデを全く感じさせず…なんて私が評論するまでもないか。次は5/24、キーシンをきいてきます。チケット、たった\2000でした(笑)。イタリアにいてよかった〜。


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2007.323

イケガク様        イタリアより

 月食で始まった3月は先週まで20℃以上の日が続き、桜も全部散ったと思ったら今週になって急降下。マントヴァでは雪も降ったとか。家の窓から見える遠くの山も新たに雪山。満開の花が痛々しいくらい。日本には花冷えなんて雅な言い方もありますが、最高気温7℃では冷えるどころか凍ってしまうかも。
 私は2月下旬にあったピアノ科8年生終了試験(ピアノ科は10年生まで)が終わり肩の荷が下りたところ。今はディプロマの為のプログラム検討中。ところで1つのことだけに集中できなたちなので、ピアノばかりだと自然、マンドリンが弾きたくなり、友人との合奏やオーケストラが楽しいところ。オケではクラウディオのヴァイオリンソロ+Mdオケの協奏曲、マンドリンソロ+Mdオケ+ブラスバンド協奏曲なども練習中。どの曲も合わせるとなると容易ではない上、日本人と違って規律のの字もないイタリア人、練習中も話し声、笑い声が絶えない。さすがのクラウディオも時々しびれをきらすくらい…。やれやれ。
 個人的には3/11にクレモナ近郊で行われた朗読、合唱、Mdクワルテットのコンサートに参加。…マンドリンについてはこんなところでしょうか。
 ところで、3/18(日)に上野の国立博物館(多分)にダ・ヴィンチの“受胎告知”が無事到着したとかで、こちらのニュースで取り上げられていました。ダ・ヴィンチの絵画はルーブルの「モナ・リザ(こちらではジョコンダと呼ばれています)」に続いて2品目の来日。国外搬出については実は伊国内では反対していたグループもいて神経ピリピリの渡航だったのです。数年前、フィレンツェで私も見た筈なのですが、正直、あまり覚えていない…。言い訳ではないけれど中世の絵画(殊に宗教画)は、ダ・ヴィンチほど有名な画家のものではないものの、あちこちに腐るほどあるのです。日本ではきっとものすごい行列になるんだろうなぁ…6月まで公開だそうです。

ではまた。


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2007.1月 @

イケガクの皆様

今年は暖冬で、真冬だというのに18℃まで上がって、コートなんて着ていられない…と思ったら、先週末に一気に気温下降、雪まで降り、ちょっとカゼをひきました。ウーゴが、トリポリだ、マイアミだ、と暖かい所でコンサートツアーをしている中、私は根性でカゼを治し、今日(1/28)はブレーシア南部のある町でクワルテットのコンサート。1ヶ月前に一度合わせただけなので、デキもこんなもんだろう、という成果だったけれど仕方ない。団体で弾くのと違って一人一人の質が問われる上、呼吸が合わないと聞いている側にもすぐ伝わるので本当に難しいものです。オケのほうは、1月に入って、めでたく大阪のN氏も一応の治療を終えて伊に帰還、低温部に花をそえ、ギターはまた1人ニューエントリーがありました。
今はクラウディオの曲ばかりのCD・第二集の録音を目標に「Epitaffio di Sicilo」「Raveliana」など練習中。他に新曲もあるそうで実際録音できるのは一体いつになるのか?気長に取り組むことになりそうです。


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2007.1月 A

話は前後しますが、冬休み中、日本から訪ねて来た友人Tと、今年はTriesteからスロヴェニアへ4日間行ってきました。Triesteから、Postojina、そして首都のLjubljanaへ。ポストイナの洞窟の見事さに比べてリュブリャナは余りに小さくて少々気抜けしたもののそれはそれでまた良し。スロヴェニアへ行く、ときいて“チェヴァプチチ・ローズミチ”という料理を勧めてくれた、スロヴェニア、ピラン出身で、クレモナのマンドリンレッスンに通ってくるファウスタは、今年最初のレッスンで顔を合わすや否や、「ユーゴスラヴィアどうだった!?」と満面の笑み。今年62才になる彼女は16才の時、イタリアに来て、伊人と結婚、両親、妹も全員イタリアに移民し、ピランへ行くのもごく僅か、1年1回。「勧めてくれた料理、レストランのメニューになかったの(本当はボーイに、“ボスニア料理だからやってない”とつっけんどんに突き放された)。)」と言ったら、ちょっと悲しそうに、「ユーゴが分断されてからなくなっちゃったのね。」──思えばファウスタが伊に来たころはまだユーゴが健在で、スロヴェニア人もボスニア人もクロアチア人もセルビア人も皆が混在して共存していた訳です。4民族がそれぞれの民族料理のおいしさを分かち合って暮らしていた頃。少々の問題はあれ、'91の内戦の前と後とどちらが本当は幸せでうまくいっていたのか、ちょっと考えてしまいました。

クロアチアの親友、イワナが以前、「内戦前は友達にセルビア人もボスニア人もいて、普通に仲良く遊んでたんだけど…」と話していたことをふと思い出しました。日本の茶の間で莫然とTVを通して見て、ひとごとのように受けとめていたユーゴ内戦という歴史の一幕が、マンドリンを通して結んだ友情のおかげで急に身近に感じられた一瞬でした。


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2006.12

イケガク様

10月初旬のマンドニコ来日から早2ヶ月。10/23にはマンドリン科の2年コースを卒論も提出して終了。
ほっとしていたらイタリアテレコムのせいでいきなり家の電話が不通になり、文字通り陸の孤島に・・・。
先日、やっとテレコムの修理がおわり、原因は何だったのかと思えば「お宅の電話ケーブルが別の町に接続されてたんです。」
・・・日本では全く考えもよらない、いや、起こり得ない事がここでは普通にあるのです。
−ところでマンドニコ(以下、クラウディオ)はたった2泊の、しかも大阪のみの超短期滞在だったにもかかわらず、
何がそんなに良かったのか日本の大ファンになって帰伊。「なんで君がイタリアなんかに10年もいるのかわかんないよ。
日本はサイコーじゃないか、僕、住んでもいいくらいだよ。」さすがの私もあまりの単純さにあっけにとられていたら
「お願いがあるんだけど日本語レッスンしてくれないかな。ネットからいろいろロードしてるんだけど
1人じゃ発音とかわからないから。」この情熱がいつまで続くのかは保証の限りではない・・・。
クラウディオ指揮するCitta di Brescia は今12/21のコンサートにむけて毎回ブラジル音楽練習中。
こちらはブラジル熱にかられたウーゴ・オルランディがもう4年近くブラジル音楽ばかりプログラムに組んで、
こちらとしてはもううんざり。今回のは“ブラジルの子供たちの為の”チャリティー目的のコンサートなので
仕方がないかとは思うけれど、これでひとつ区切りをつけてくれることを心底願ってやまない私。
あ、ひとつオケの宣伝を。NAXOSから「SPAGHETTI RAG」のタイトルでラグタイム集が出ました。
興味のある方はどうぞ。皆さん、よいクリスマスを。


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2006.8/6

イタリアより        ブレーシア ’06.8.6

日本から伊へ戻ってはや一週間。あまり多くの人には連絡せず1ヶ月潜伏しきるつもりでいたが、それでも帰国1ヶ月は
あっというまであった。何だかんだ言いつつも今回もいろんな方々にお世話になり、色々な出会いがあった。
7/22
には慶応OBのグループから、ドリーナ・フラーティ一行の歓迎会に招待していただいて楽しいひと時を過ごさせて頂き、
又、その昔、両親がGパートで参加していたヴェネルディ・マンドリンオーケストラからは、練習参観にお誘い頂いた上、
練習後は皆さんと歓談する機会を得た。2425日は大阪の私の友人Kさんの計らいで、彼女の所属する
マンドリンアンサンブル・Pleiadiに乱入。6人という少人数だったにもかかわらず、その音色の透明さには
すっかり圧倒されてしまった。マンドニコ作曲のMusic for playCeciliana(チェチリアーナ)など、ブレーシアのオケで
馴染みの曲を聴かせていただき、又、大阪のリズムの良い会話にすっかり魅了された充実の2日間であった。
 今回、ただ1つ残念だったのが、Citta di Brescia期待のマンドロンチェリスト、大阪のN氏の病気再発であった。
マンドリン製作者としてミラノで修行中のN氏、只今日本にて治療中である。一度帰国すればナポリ型以外の
マンドリンを手掛ける人は日本では皆無に等しく、私にとってはN氏は頼みの綱である。どうか早く病状が
回復することを祈ってエールを送りたい。頑張れ!


ちょっと遠いかもしれないなと思いつつとりあえず日本の皆さんにもお知らせ。

8/28
9/2 イタリア中部、アブルッツォ州モンテシルヴァーノ市にて市の主催でマンドリンの講習があります。

講師  ウーゴ・オルランディ
参加費用  230ユーロ     なお聴講も可(滞在費別)

詳細を知りたい方はイケガクを通して西山までご連絡下さい。私もアシスタントで参加します。
去年は初級者・上級者問わずそれぞれ楽しくやっていました。個別にレッスンもみてもらえます。
空き時間は海辺でのんびり、魚貝類のおいしい町です。休暇も兼ねて、興味のある方はどうぞ。(ちゃんと通訳します)


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2005.11/25

イケガクの皆様

9月にイタリアに戻ってから、早いもので、もう11月も半ばになってしまいました。
わずか2ケ月半の間に6つの試験をこなし、合間になんと引越しまでして、本当に大忙し!
今は12/2のsalterio(プサルテリウム)のコンサートに向けての練習を一人黙々と...
気が向いたときにしています。

ところで、Citta di Bresciaに10月から新たに日本人の同朋が一人加わりました!!
‘96に私がイタリアに来て以来初めてのことで、私としてはとても喜んでいます。
日本から持ってきたこのPCが使えるようになったのも、同志社大OBNさんのおかげ...
Nさんは現在ミラノで楽器製作の修行中ですが忙しい中、週に1回Bresciaに通って、現役時代に磨いた
Mandoloncello
の腕を大いに発揮しています。

明日からは又、師匠OrlandiI Solisti Veneti(日本ではヴェネツィア合奏団と呼ばれているようです)との
日本公演で2週間の予定で来日します。
予定では、大阪、福岡、広島、横浜、山形、東京などを回って更に、インド公演をしてイタリアに戻ってくるそうです...

どういう体力なんでしょう???ともかく、機会があったら皆さんも聴きに行ってみてください。

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2005.8/2

7月11日から17日までPescara近郊のモンテシルヴァーノへ、マスタークラスのアシスタントとして参加してきました。
指導は勿論オルランディで、参加者は8人。イタリアのあちこちから集まったので、各地方の訛りが飛び交い、
中でもトスカーナの方言や発音には笑いをこらえるのが必死でした。

ロベルト=ベニーニ(映画「La vita e bella」の監督・・・日本では英訳されて“the life is beautiful”に
なっていた気がします。)に代表されるトスカーナの人たちは話術にたけ、一緒にいると笑いが絶えませんでした。
会場になったモンテシルヴァーノはウンブリア州。ヴェネツィアをアドリア海沿いにずっと南へ下ったところにあるリゾート地。
ふだん内陸なのでブレーシアではあまり口にしない魚貝類も豊富で新鮮。
休み時間には海水浴、と最高の1週間でした。・・・講習の内容はいつもながら満載。
’96から今までこんなに長いこと、ここに暮らしているのに、師匠からはまだまだ学ぶことばかり。
自分の師を誉めるのも変なものですが、ほんっとうに頭のいい人で、音楽に関することなら
マンドリンは当たり前のことながら、歴史、宗教、政治、地理、言語からはたまたニューヨークにある小さな楽器店の
名前まで全て頭に入っているんです。どういう頭脳なんだか・・・100年かけても私は追いつきそうにありません。
アシスタントとしての私は主に全員のピアノ伴奏で最終夜のコンサートには、ピアノとマンドリンとで出ずっぱり。
参加者以上に勉強になりました。来年もきっと行われる筈なので、日本からも是非参加して下さい。
(ちゃんと通訳します)一見(一聴?)の価値はあります。

Bresciaのオーケストラは7/1に1つ大きなコンサートがありました。ファブリツィオ=デ=アンドレという、
数年前に亡くなった伊で有名な歌手の追悼コンサートに組織者側から依頼されて参加したのですが、
なんと聴衆2000人。これだけ集まると気持ちがいいもんです。私は気付かなかったのですが、
翌日TVのニュースに流れたそうで、近所の人に「ミキ、何度も映ってたよ。」と言われてびっくり。
写真とかビデオとか大っ嫌いの私がなんで・・・とガク然としました。

8/4に1ヶ月の予定で帰国しますが(あ、また自宅でレッスンしますので興味のある方はどうぞ)。
それまで個人的にはプサルテリウムに専念。ドイツやハンガリーではハンマーダルシマーとか呼ばれてて、
奏法もハンマーを用いたりしながら今でも演奏されているのですが、イタリアでは“絶滅”してしまって、
誰も弾いている人がいません。イタリア名Salterio(サルテリオ)・・・24コース3復弦。
台形の琴のような楽器です。イタリアではその昔どおり、指やピック、琴で使うような“つめ”で演奏していたようですが
何せ資料も少なくお手本もない。チューニングするだけでも悪夢です。
うちにあるのは1740年の楽器で本来なら博物館のガラスケースに入れられているべきもの。
ネコのサクラが私の注意をひくべく上に乗っかたりするので、その度に全身の血が凍ったようになる思いをしています。
なんでこんなものがここにくるハメになったのか・・・次回のお楽しみにしましょう。それでは!

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2005. 6/30

日本も暑くて水不足が心配されているようですが、ヨーロッパでも状況は全く同じです。
昨日はここも36℃まで気温が上昇。降雨量が少ないので農業は勿論、水力発電がダメージを受け、
普段でさえスイスなどの隣国から電力を輸入しているイタリアでは早くも停電が心配されています。

ところで6月はこちらでは学年末。夏のバカンス前の最後の月というわけで、色んな行事があり、
私も文字通り、目のまわる程の忙しさでした。
マンドリンに関することだけでも山のようにありましたが箇条書きで大きい出来事だけピックアップすることにします。


まず6/8。師匠オルランディのコンサート。PadovaのEremitani美術館内で古楽器のみのプログラム。
フォルテピアノ(現在のピアノの前身で一般にこう呼んでいます)の伴奏で
バロック期のNapoli型マンドリン(弦がクラヴィチェンバロの弦)を用い、HummelのGrande Sonataなどが演奏されました。
“木管”のフルートの音色なども聴けて大変興味深い内容でした。アンコールにHummelの第2楽章が
繰り返されましたが、こんなにシンプルなのにいつも音楽的深さには圧倒されます。


6/9。オーケストラ“Citta di Brescia”のクレモナでのコンサート。
つい最近出したクレモナ出身の作曲者の作品を集めたCDの発表も兼ねていました。
予想外に肌寒い夜の屋外コンサート(クレモナ中心街にあるトレッキ宮殿の中庭)でしたが満席でした。


6/20。ベルガモ近郊の、丘の上にある小さな僧院でオルランディとDuoのコンサート。
イラク戦争などを題材にした詩の朗読と演奏が交互に行われました。私は今年で3回目の出演でしたが、
宣伝もないのに毎年足を運ぶ人が増えて(丘の上まで森の中を徒歩で20分。外灯もありません)
今回は小さな僧院のもっと小さな中庭に入りきらなかった人が外にまであふれていました。
ブレーシア型、ミラノ型、ナポリ型の二重奏でホタルの飛び交う中の“静かな”コンサートとなりました。


6/30。今日はPadovaのコンセルヴァトーリオのマンドリン科の予科終了試験と卒業試験(ディプロマ)の日。
毎年なんだかんだと駆り出されている私は、今年も受験者2人のピアノ伴奏。
午後3時半、試験開始。今日のPadovaは33℃。
コンディションとしては最悪で、私のディプロマの時を思い出していましたが、2人とも無事終了。
因みに予科終了のプログラムはCalaceの小さなガボット(マンドリンソロ)、Fantasia Poetica(詩的幻想曲・・・ですか?)
E.バルベッラの協奏曲ニ長調、ディプロマの方はシャイリーのSonatina Tritematicaや
フンメルのマンドリン協奏曲など(もちろん2曲じゃおわりません)でした。7月もまだ当分忙しそうです。
やれやれ・・・

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2005. 5/27

5月27日。イタリアは急に暑くなりました。ブラジルからパドヴァのコンセルヴァトーリオに今年度から
留学してきたジョルジェにとっては嬉しい季節。(冬の寒さには毎日震えていました。)

彼はブラジルではCDも出しているくらいショロのソリストとしては知られていて、初めてうちに遊びに来た時は
あれも、これもと1時間くらい1人でマンドリンを弾いていきました・・・勿論、譜面なんかナシで。
幼少の頃から体で覚えてきたものだから、もう体の一部分になっているんですね。

逆に、今彼が学ぼうとしているクラシックのマンドリンは譜読みからして彼の今までの経験には乏しいことばかりで、
オーケストラでもかなり苦労しています・・・。留学生は他にギリシャから2人、オランダ人1人、クロアチアイ人1人。
定員13人のクラスに外国人が絶えないのはいつものこと。

ギリシャからやってきたパリスとヨルゴスの2人はここブレーシアに在住。
私は地中海沿岸諸国の人とはどうも気が合うところがあって、しょっちゅうつるんでます。
私の方はといえばピアノとマンドリンと、大忙し。マンドリンは今コンセルヴァトーリオの改革の為、
今年を含めて2年間、科目履修することになったのです。

こんなに音楽の歴史が長い国で信じられない話ですが、これまでのディプロマは高卒扱い程度でしかなかったので、
大卒レベルに引き上げるべく、卒業者対象に2年、楽器によっては3年、新たにコースが設けられて、事務も大わらわ。
履修者も当然何が何だかさっぱり分からない中でパニック。
イタリアらしいというか何というか。進展があったら報告しますね。

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2005. 3/20

こんにちわ。ずーっと更新してませんでしたね、私。イケガクの皆さんにはご迷惑かけっ放し(特に井沢さん、すみません)

ところで私は今、日本に潜伏しております。実はこの度、弟がめでたくゴールイン、姉を出し抜いて挙式の運びとなり、
2週間の予定で帰国。又3/27にはあちらに戻ることになっていますが、そのまえに有人知人に頼まれた品物を
イケガクさんでゲットしなくてはならず、顔を出すなら原稿も出さねば・・・と慌ててこの有様。

イタリアではいろんなことがありました。コンサート、録音作業、コンセルヴァトーリオの改革でできた新設コース、
ブレーシアに来た3人の新しい外国人留学生etc.etc.・・・。
私の方はまぐれで入ったピアノ科の方は忙しいわ、マンドリンやピアノの生徒は増える一方、
今年も去年に引き続き高校で日本語の授業、と毎日文字通り分刻み。嬉しい反面、ちょっと息抜きをしたかったこともあり、
今回の帰国については殆ど誰にも連絡せず、家ではひたすらアザラシのようにゴロゴロ転がっておりました。
今回休めたのは丁度イタリアがPasuqua(復活祭)の休暇に入ったからだったのですが、
向こうに帰ったらまた休み明けでドッといろんなことが待ち受けているはず・・・やれやれ。

ところで去年7月の帰国時にイケガクさんで買い替えたマンドリンの軽量ケース、本っ当に助かってます。
実はあちらの友人にも結構評判が良くて今回1つ買ってくるように頼まれてしまいました。
イタリアではもはやレア物のべっこうのピックに加え、軽量譜面台、軽量ケース、彼らの羨むものは日本に数知れません。

・・・というわけですので、これからも大きな顔してお世話になるべくもっと短めのお便りをこまめにしようと思いますので
どうぞよろしく!

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20033/13

日本からイタリアへ戻って、はや10日が過ぎてしまった。今回の一時帰国もあっという間で、
結局予定していたことも全ては出来ぬまま、終わり頃は日本のインフルエンザに罹り、
無駄に時を過ごして気付いてみればまた、ヨーロッパへ向けての機内。

今回、師匠オルランディが属する「イ・ソリスティ・ヴェネティ(日本語訳はヴェネツィア合奏団になっていた)」が丁度2/6から2/17に来日し、師匠から通訳で17日まで殆ど毎日引っぱり出されていたが、おかげで暫くお目にかかる機会のなかった人などに再会する事ができ、有意義な日々を送れた。
 
イタリアはもうすっかり春で、窓を開け放っていると入ってくる風が心地よい。
庭には野生のプリムラやデージーが菫などとともに咲き乱れている。
普段通りのリズムが戻ってきて、今日も朝からマンドリンのレッスンをこなし、夕方にはピアノのレッスンが入っている。
マンドリンを習いに来たMさんは年令でいうと私の母と同じくらいであるが、大変熱心な方で、
Cremaという町から車で片道1時間もかけて通って来られるので頭が下がる。
ピアノについては私はアパートに楽器を持っていないので、昔とった杵柄で教えているのだが、中に一人大変優秀な子おり、12才にしてショパンを弾いている。バッハのインベンション程度なら1週間で暗譜(勿論譜読みから始めて)してしまう。
触発されて時間があるとオーケストラ(この場合Citta di Bresciaマンドリンオケ)に置いてある古ぼけたピアノや、
土日に使用許可を貰っている中心街の小学校のピアノ部屋にこもって練習しているが、
思うようには当たり前事ながら弾けない。以前、塾に勤務していた時から身にしみてわかってはいたが、
1つの事を説明するには10の事を知っていなければならず、教える為には共に学び続けねばやっていけない。
生徒から学ぶことも多々ある。私など本当はいまだ発展途上で終わりなど見えない・・・。

−なんてことをくどくどと考えていたら、日本の友人Tから小包が届いた。私自身だって日本から戻ったばかりだというのに気を効かせて私が日本で食べ損なった品々が入っていた。
ここ数年日本からの包みは全てTからのものである。年末年始にこちらに来た時も行商のおばさん顔負けの量の日本食をトランクいっぱいに詰めて持ってきてくれた。Tとは様々な機会を利用して色々な所を訪れてきたが
今回はヴェネツィア、ラヴェンナ、クレスピ・ディ・アッダの3都市のみを回ったほかはのんびりと伊の年末年始を味わった。絵を子供達に教えているTの要望と私のモザイクに対する興味が一致したラヴェンナ行き。
興奮して前夜寝付けずにいた私はフラフラしていたが、2日かけてユネスコ遺産あるモザイクを含め、要所は全て押さえた。あのモザイクの美しさはその目で実際に見た者でなければわからないだろう。
Tは子供達への絵の題材として絵葉書を何十枚も購入していた。ラヴェンナは有名なわりにそこへ至る交通の便が大変悪く、そのおかげか大都市のように観光ズレしていないように思った。
街中で観光客向けのお土産品など殆ど見かけず、町全体がそこに暮らす人々のサイズで動いているように感じた。
大満足の小旅行であったが、ラヴェンナではもう一つ貴重なものを得た。
日本から単身、伊旅行に来ていたSさんと知り合えた事である。日本人観光客もさすがに少ないこの町で、一日のうちに何度も顔を合わせ、軽い挨拶がいつの間にかお喋りに変化し、気付いてみれば意気投合。
後日、ヴェネツィアで再会を果たし2月に帰国した折りには3人で食事。TとSさんの間では盛んにメールのやりとりもしているらしいが、パソコンを持たない私は取り残され・・・? ともかく、よいものを見聞きし、その経験を財産として共有できる友人がまた1人増えたことは、この度の何物にも代え難い出来事だった。

 さて、2月中、通訳や何やらにかまけてすっかり怠けていた肝心のマンドリン。
伊に帰ってみれば3月末に1つduoのコンサートが入っていたので焦って練習再開。
5月中にある生徒達の発表会の曲も決めねばならず、あれやこれやと音楽にどっぷりつかった毎日である。
オケの方もクラウディオ(←クラウディオ・マンドニコ、Citta di Bresciaの指揮者であり作曲家でもある)が
新曲を持ってきたりして気分も新たに楽しくやっている。

・・・そろそろ出かける準備を始めなくては・・・。それではまた。


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20031/15

(やっと)第4回

新年おめでとうございます。−もう殆ど寒中見舞いの時季ですが、皆様如何お過ごしでしょうか。

年末年始に日本から遊びに来ていた親友がこの欄を読んでいたのですが、
彼女から「10/31以降ちっとも更新されてないよ。」と怒られてしまいました。ごもっとも。
きっとイケガクの皆さんも頼む人を間違ったと思って後悔しつつも言えずにいたに違いありません。
言い訳ですが、これでも小中学校あたりまでは何でもコツコツと努力するタイプだったんです。
それがいつの頃からか、かなりのマイペースに転向。どうも気分にムラがあるようで(と、母に指摘されております。
楽器の練習にしても一日何時間も弾くことがあるかと思えば、次の1週間は触りもしなかったり。
その時の気分次第なんですね。ですから“○月×日までに△△”というような期限がなければタラタラと先延ばしにする傾向があり・・・ちっとも自慢できる話じゃありませんね。失礼致しました。

ところでそんな私でも滞在許可証の更新だけは毎年神経をピリピリさせながら行っており、
今年度の分も12月半ばに手続きを済ませてきました。これはイタリアに長期滞在する人なら誰もが一度は経験する恒例行事でどんなに呑気な人でも更新の日が近づくと気が重くなるくらい面倒臭いんです。
郵便局、駅の切符売り場、スーパーのレジ、銀行、パン屋・・・計算によると1年365日のうち13日分は行列に費やしているというイタリアにあって言葉も満足に通じない外国人が滞在許可を求めて詰め寄る県警察の有様は言わずもがな。
昨今の移民事情を反映して、数年前に比べればかなり楽になり今回は申請から再公布まで1日で済んだので気が抜けてしまいましたが、そうは言っても朝8時半に県警に赴き、帰宅したのは午後2時を回っていましたから、
6時間近くかかったことになります。

6年前までは提出書類を尋ねる為に整理券が必要で(今は専用の窓口に電話すればOK)、書類を揃えてからは、
今度はそれを提出するために再度整理券を求めて行列。しかも、そうした一切の事は夜8時以降にならないと行われなかったので、12月の寒風に吹きさらされて(今は待合い用のテントがあります。しかも暖房付き!)、
薄暗い外灯の下、色々な国籍の人達とお互いの顔もよく分からないままひたすら行列。雨が降ってこようものならみじめなことこの上なし。−そんな思いをしてまで何故行列しなければならないかというと、一度に配られる券の枚数が限られているので、早く行って並んでいなければ永久に自分の番はまわってこないわけです。
それがある時夜から朝に移行してからは、今度はなんと、枕持参で県警の門の前で一晩明かす人たちが現れ、ようやく“整理券→電話で予約”という現代的システムが(?)ができました。
(そうなってもすんなりいかないのがイタリア。それについても書こうと思えばいくらでも書けるのですが、そこは省略。)

 ところで今年度からは滞在許可証の申請をする全ての外国人の指紋を登録する法律ができて、
私も例に洩れず、しっかり両手にローラーでインクを塗られ、両手指はおろか両手の平の指紋までばっちりとられました。
場所が場所だけに気分はすっかり犯罪者。作業する方も楽ではないとみえ、女性係官もしかめっ面。
思わず吹き出しそうになって、ごまかしに「大変でしょう?」と声をかけたら「そうなのよ。やってらんないわよ、
一日中こればっか。」とやっと笑顔をみせてくれました。

 それにしてもとられる側にしてみれば屈辱的なこの行為。「誰がベルルスコーニなんかに投票したのっ!」と会う知人、
友人に報告していたらクレモナ出身で京都弁ペラペラのMが「私だって日本にいた時、よく指紋とられて腹立ったよ、
何も悪いことしてないのに。」と言うので、日本でも滞在許可申請と同時に指紋の登録でもしているのかと思いきや「イタリアから荷物が届くと必ず・・・!」−ハンコを持っていなかった彼女は、小包が届いたり、役所に書類を出しに行く度に拇印を押させられていたのでした。私達が何気なく行っている日常の行為が、外国から来る人の目にはそういうふうに映っているんだなあ、とはっとさせられる思いでした。

 ふと我に返ってみれば、私の伊滞在もなんと7年目!「いつまでも好きなことばっかりしていられていいわねぇ。」と私のことをかなりのお嬢さんだと勘違いしていられる方もいらっしゃるかもしれませんが、もしそうなら大間違い。上記の滞在許可の申請に始まり、海外で暮らしていくのには実は相当なパワーとエネルギーが必要で、お嬢さんでは半年ももたないか、と思うのです。おまけに音楽だけでやっていくのはこちらでもかなりのサバイバル。持ち合わせている(数少ない)能力は全てフル活用し、“芸は身を助く”を地で行っている毎日ですが、それだってかなりの精神力が要るんでしょうか、
時々充電期間が必要になるのです。そんな時にタイムリーに現れたのが同じく充電が必要になっていた親友のTでした。

−この続きは次回にしましょう。右手が少々つかれてきましたから  では、また。


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200210/31

すっかりご無沙汰してしまいました。10月から一気に日常生活が戻ってきて日本語、マンドリン、ピアノと合わせて
週に20人以上の生徒のレッスンをこなし、あいまに美術館や工場などで通訳、翻訳、加えて9月末から
わずか1ヶ月の間に6つもコンサートが入り怒濤のような毎日で、気付いたら既に11月に入ろうとしていたのでした。
キンモクセイは私の知らないうちに時期を終え、市中に街路樹として植えられているプラタナスの葉は黄色く染まり、
ベランダのぶどうは私の許可なくその殆どを鳥たちがついばみ・・・。

でもどんなに忙しくても久しぶりに生徒たちと顔を合わせるのは楽しいもので、
小さい子の中には休みの間に急に背が伸びた子がいたり、中高生だと目を見張るほど大人びた顔つきになった子がいたり。例年だと10月に栄養を貯えるべく一時帰国していたのですが、今年は早々と6月に帰ったので今回は10月も休むことなくレッスン続行。思えば去年の秋の帰国にはかなりの度胸が要ったのでした。

9月11日の例のニューヨークでのテロの後で空港はどこも厳戒態勢にあり、旅行者は激減。
更にそれに追い討ちをかけるようにイタリアでは10月8日ミラノのリナーテ空港でスカンジナビア機とセスナが
地上で衝突、乗客乗務員118人全員死亡というイタリアにおける航空機事故史上最大の惨事がもち上がったので
国中大騒ぎ。私の飛行機は10月21日リテーナ発のブリティッシュ・・・予約したあとの出来事だったし事故後の方が安全に気を配っているだろうと思って予定通りに機上の人となったのでしたが、離陸のため飛行機が猛スピードで加速した時、
左手の窓にまだ青いビニールシートをかぶったままのスカンジナビア機の残骸が見えた時は
さすがにいい気はしませんでした。同じ光景を目にした周囲の乗客が思わず無言になっていた様は今でも覚えています。
やれやれ、旅も回を重ねるといろんな事があるものです・・・。ただ、こういう旅となると本人よりも周囲の方が
気が気でないらしく、日本の友人からは「ロンドンで買う紅茶の心配してる場合じゃないでしょう!」と叱責され、
イタリアに戻ってみればいつも利かん気が強くて、おまけに少しもじっとしていられない生徒F(12)
「ミキのヒコーキが落っこちちゃったらどうしよう!」と家で泣いていたことがママによる後日談で分かったり。
ともあれ、昨今のテロなどを含む各地の陰惨な出来事は、ここは安全というところなど世界中どこにもないことを証明しているようなもので、いくら本人が注意したところであとは運のある、なしが物を言うようですが。

さて、私もこれまで色々なところでコンサートをしました。イタリアなど、ヨーロッパで圧倒的に多く演奏会場として選ばれる教会を筆頭に、劇場、個人の家、学校、美術館、宮殿、ちょっと変わったのになると老人ホーム、果ては拘置所。普段なかなか入れないところとはいえ、拘置所だけは最初で最後であることを祈ったものですが、
今回6回連続のコンサートの第1回目は9月末にプッチーニ生誕の地、ルッカ(トスカーナ州)の郊外にある某伯爵邸が会場でした。その昔、サヴォイア公追放と共に建て前上封建制度は無くなったのですが、実際のところイタリアにはまだ自分は貴族であると称する人々があちらこちらにおり、この日の招待客もその大多数が“貴族”。
その大きな屋敷や広大な敷地の維持に四苦八苦した挙げ句、屋敷をホテルに変えたり、全てを国に売ったりして管理を任せる“貴族”たちの現状がこの伯爵家に当てはまるのか否かは私の知るところではありませんが、コンサート後に奏者も含む全員にふるまわれた晩餐では銀のフォークやナイフが出され「イタリア人」の給仕がせわしく働いていました(外国人を使った方が人件費が安く上がる)。ところで彼ら“貴族”の頭にあるのは公・候・伯・子・男という己も含む身分制のもと自分たちとは世界を異にする平民との境をくっきり分けることですが、音楽家というのは今でこそ華やかな職業(少なくとも見た目は)であれ、封建制のもとでは仕える主がいて初めて生活が成り立ついわば平民グループに属したわけです。
そういったことが彼らのDNAにしっかり組み込まれていたからなのかどうなのかはさておき、この晩餐の場で奏者に用意されたのは人数分にも満たない椅子だけでした。食べる料理は客と同じ物とはいえ左手でお皿を支えているのですから水を飲むグラスを持つわけにもいかず・・・。「まったく2002年にもなって、一体何様だと思ってるんだか。」と呆れ返ってその場をひきあげるべく一歩出口を出てふと視線を右にやると、灰色の薄暗い納屋のような部屋の中で給仕たちが順番で食事をしているところでした。伯爵にしてみれば私達には特別な待遇を与えた、というわけなのでしょうがこんなことで時間を潰しているくらいならみんなでピザ屋へ行った方が余程楽しかったのにねぇ、とは平民音楽家全員の意見でした。

そして平民改め、一般市民生活をこよなく愛する私は、知人の分けてくれた秋の味覚・栗を茹でたり、こんなののどこがよかったんだ、と思いつつTVで映画「TITANIC」を深夜1時まで眺め、涙とハナで呼吸困難に陥り、溺死気分を味わいつつ秋の夜長を堪能(?)・・・そんな些細なことに喜びを見いだせることに心底幸せだなあと思うのです。


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20029/19

9月も半ば。イタリアはもうすっかり秋の気配で、青い空の下、キンモクセイのにおいがそこここに漂っています。
私はキンモクセイが香りだすと本能的に秋だ、と感じてしまうのですがきっとそれは私だけではないでしょう。

うちのベランダには地上からのびている葡萄が今年もたわわに実をつけ、一人では食べきれず、
友人知人にもおすそわけ。貰った人は大概、アパート住まいの私から何故葡萄??という腑に落ちない顔をして
受け取るので、大抵そこで二言三言説明が必要になります。
見に来る人はあまりの(葡萄の)つるの太さに「これ、つるっていうより木だね。ところでこれも家賃に含まれてるの?」
と笑って帰りますが、太いだけに剪定など手入れが大変。7月のように10日も留守にしようものなら
日当たりの良い南向きのベランダ、あっという間につるが伸びてジャングル化し、
布団を干す場所さえなくなってしまうので気が抜けません。

さて葡萄の食べ方ですが、こちらでは皮ごと食べてしまうの、知ってますか?日本と逆で、
あとから種を出す人はいますが、皮はマナー上なのか習慣上なのか理由はともかく飲み込んでしまいます。
私は小さい頃、誰だったか「種ごと飲み込むと頭から芽が出てくるよ。」と脅かされた覚えがあります。
消化に悪いからということなのでしょうが日本に帰れば余程大きくない限り、
やはり葡萄の種は飲み込み、皮は中身を口の中に押し出して捨てています。


この数日は気温もかなり下がって朝夕は寒いくらいになり、おかげで蚊の数もめっきり減った気がします。
イタリアの蚊は日本のに比べてあの独特の羽音、ブーン・・・が弱く、色も金茶色なので刺されたあとで
「やられた!」と気付くことが多いのですが、その従来種の加えて、日本でもお馴染みの白黒まだらのアジア産の蚊が
今、急増中。繁殖力が強く攻撃的なので、従来種よりも迷惑がられて警戒され、
そのツートンカラーのイメージも手伝ってか「Zanzara tigre (虎蚊)」と命名されてしまいました。
蚊対策は日本と同様さまざまで、スプレー、超音波と考えつくものは殆どあります。
なんとスーパーでは蚊とり線香も扱っており伝統的な緑色の他に、イタリアらしくシトロンの香りの黄色、
花の香りのピンクも売っていて、初めてお目にかかった時には異国でその土地の衣装をまとった
日本人を見るような気持ちで、懐かしいような取っつきにくいような変な気分になったのを今でも覚えていますが、
そのせいかどうか“シトロンと花の香り”は未だに試したことがありません。
友人に「日本の伝統では蚊とり線香は緑色だけだよ。」と話したら、「え?蚊とり線香って日本のものなの?
私のおばあさんも使っていたみたいだけど!?」と反論され、イマイチ自信がなくなってしまいましたが、
たしか学研の図鑑では日本の伝統産業として瀬戸内海地方で蚊とり線香の原料として使われる
「ムシトリギク」という白い菊の生産をする農家の様子が写真入りで紹介されていたような気がするのですが?
何せウロ覚えなのでどなたか詳しい人がいたら是非教えて下さい。
もしかしたら線香の類は大陸起源で、似たようなものが世界各国に広がっているのかもしれませんし・・・。
線香の他、虫除けのろうそくというのがこちらにはあって、それは一様に全て黄色で統一され
夏の野外でのコンサートなどでは観客席や通路など、そこここに灯され演出に一役かっています。
線香のように文字通り“煙(けむ)にまく”ようなわけにはいきませんが、ろうが溶ける時の芳香が虫には迷惑らしく、
これはこれで効果があるようです。それでもいざ刺されてしまったらどうするかというと、
イタリアなら大概どの家庭にも一鉢はあるバジリコの出番。一枚葉っぱを失敬してしばらく指でもんだあと、
刺された箇所にその汁をすり込むのです。
日本でもハーブとしてどこにでも売られていますから手に入れたらためしてみて下さい。
その辺の虫さされ用のクリームなんかよりずっと早くかゆみがおさまります。 − いえ、そうでなくて9月になって蚊が減ったという話をしていたんでしたね。でも湿度の高い日本にはまだいるでしょうからチャンスがあったら(?)やはりお試しを。


9月といえば誕生日ラッシュ。特に私の周囲は9月前半と、とんでナゼか9月22日に誕生日が集中しており、
殆ど毎日誰かしらにオメデトウの電話をかけたりメッセージを送ったり。
因みにかく言う私も9日でめでたく31才(!!)になり、帰国時に読んだ新聞に大見出しになっていた“30代独身急増!!”の例外に洩れることなく、日々その平均年令を上げるべく邁進しております。
イタリアでは誕生日は“お祝いしてもらう”のを待つのではなく、誕生日を迎えた本人が「今日は私の誕生日なの!」とご馳走するのが普通で、オーケストラの練習にいくと時々誕生日を迎えた人がお菓子やシャンパン、
ジュースなどを持参して、練習前のひとときに皆にふるまったりしています。
日本だと誕生日といっても本人は黙って騒ぐことなく、それでも親しい人には“覚えていてくれるかな。”と
期待半分、お祝いされると照れくさそうに「いやぁ、ありがとう。」なんていうのが通例で
見ている側としても微笑ましいものですが、国民性の違いでしょうか。
日本と同じ農耕の民である韓国人の友人に尋ねたら「そりゃ周りがお祝いしてあげなきゃ。
自分で自分の誕生日の宣伝なんかしないよ。」という答えでした。やっぱりアジア方面は謙虚なんですね。
何事も自己主張しなければ始まらないイタリアの誕生日事情を紹介したところで、今回は筆を置きます。


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20028/6

日本の友人からの便りで、日本はかなり暑さが厳しいと伺いましたが、幸いここ北伊は朝夕はまだしのぎやすく、
冷房も扇風機もないこの私のアパートでも何とかやっていけます。

ところで、3晩連続で北伊は雷雨に見舞われ、ガルダ湖畔(私の住んでいるブレーシアのすぐ東)では
1つが700グラムもあるひょうが降って、町全体が大ダメージを受けたのでした。雷も迫力があって、
辺りが一瞬青白く浮かび上がったあとバキバキともの凄い音!TVなんか全く聞こえません。
食器棚をひっくり返したらきっとこんな感じになるのでしょう。

私は7月19日から7月28日にウルビーノ(伊中部)で行われたCorso Internazionale di Musica Antica
(国際古典音楽講習会)に参加してきました。会そのものは今年で34回目ですがマンドリンのコースも
2000年から設けられ、私もこれで3回目の参加です。バイオリンetc.のコースには日本からも沢山の人が
参加してくるのですが、マンドリンはなぜかいつも私1人。
講師が※オルランディ[ 注:ウーゴ・オルランディ  イタリアを代表する世界的なマンドリニスト、
西山さんはオルランディ氏に師事している ] なので参加者も殆ど知った面々なのですが、
去年はイスラエルから1人、今年はドイツ、ロシアから1人ずつ参加がありました。
講習は午前中、教室として使っている小さな教会で行われました。

今年は1700年代のナポリ楽派の協奏曲を中心にナポリ型マンドリンを使用した内容でしたが、
去年まではロンバルト型マンドリン(持っていない人が殆どなので大抵の人はナポリ型を使った。
ちなみにドイツ人はこのマンドリンをなぜかバロックマンドリンと名付けている・・・)を用いて一般には知られていない中世の作曲家の音楽をとりあげていました。午後はリュートなどの他の撥弦楽器と合奏。
ここでは中世の音楽が用意されていましたが、飾り気のない素朴な音楽を奏するのがいかに難しいかということを
今年も身にしみて感じました。ところでウルビーノは世界的に有名な画家ラファエッロ・サンツィオの生まれた町で
今でも生家が残っていて見学できるのですが、小山の上に築かれたこの町、いたるところ坂だらけ。
しかもその勾配がハンパでない。講習期間中は町のあちこちで展示会、コンサート、
譜面や楽器の販売があるのですが移動にはそれ相応の脚力が要求されます。
しかも楽器や荷物を担いで行くのですから私の様に普段運動不足な者にはこの10日間、かなりキキます。
それでも3回も行ってしまうのはウルビーノの町の美しさに魅了されているせいか・・・?
イタリアはきれいです。どこの町に行っても。でも私個人としてはローマとかフィレンツェなどの大都市よりも
小さな町が好きです。観光旅行のコースなどには絶対組み込まれないような、
半日もいれば歩けてしまうくらいの町・・・そういう所の方が個性があって思わぬ発見もあったりして。

それはさておき、とうとうブレーシア型マンドリンを手に入れました!
クレモナに住む人達は「クレモナ型」と呼んでいますが、私はブレーシアに住むので迷わず「ブレーシア型」!
4単弦のマンドリンでBortolazziなどの作品はこの楽器のために書かれたので、これから彼の作品を弾く時には大いに利用できます。(ちなみにドイツ人は「クレモナ型」と呼んで譲らない。)
liutaio(製作者)は私のロンバルド型も手がけたタルクイーニアのカルロ・チェッコーニ氏。
ナイロン弦なので音色もソフトで甘く、単弦なのでロンバルド型(6複弦)ともまた違う味わい。

夏休み中で生徒達のレッスンも無いし突発的な通訳も無いし、やっと家でのんびりする時間がもてるチャンス!と思って暇があると手にとっています。明日か明後日あたりは友人の※ルイゼッラ[ 注:西山さんが優勝したアーラのコンクール以来の友人のギタリスト ]と二人でこのマンドリンを使ってduoでも楽しもうと思っています。長くなりました。又お便りします。日本の暑さに負けずに頑張って下さい。それでは・・・。


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